開拓の歴史
先遣隊時代に建てた家は家とは名ばかりの、4つ角に柱を立てその上に屋根をのせただけの掘立小屋だったため、まず最初に住宅の整備から始めました。

とりあえず準備してきたテントを張りめぐらして壁とし、土間にもテントを敷きその上に寝起きしました。家は日毎に整備され、4つ角に柱と柱の間に添え木を入れ、丸太の床げたに山竹を編んでそれにテントを敷き・・・といった粗末なものでした。

当時の開拓された畑は無数に立つ木の切株の間に甘藷や陸稲が植えられてます。ジャングルの木を伐採し焼き払らった後、木の切株や根はそのままにして空いている場所に植え穴を開け種をまいていくという方法がとられました。
入植者全員が資金を持たない丸裸の開拓者であるため、まず解決しなければならないのが生活費の捻出でしたが、幸い入植地は大量の立木があり伐採した木々は薪として売れたため生活費に充足できました。
子弟の教育を1日もゆるがせにできないことを考え、私塾的学校として開校することを決意しました。
開拓地での教育問題を憂慮され、全ての名利を捨てて行動を共にして来られた嵩原久勝先生のもと、無報酬で7学年複式という超人的な教育が、先遣隊の合宿所のあばら屋を校舎として開始しました。
開校当時の伊野田小学校(1953年) 米軍が軍用車で視察に来ています。
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